物語 |
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(奪衣婆異聞記) 作/奥人
この話は、私の祖母が死後の世界について語っていたことを元にしています。 良いことをすれば、いつか善いこととなって報われる ということを教えようとしたもののようです。 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
むかし、信仰心の篤いおばあさんがおりました。 仏様の教えを自分なりに勉強して、誰にでも望むものがあれば、 教えてやりたいという願いを持っておりました。
おばあさん自身は、その教えどおり、正しい行いをすることに徹し、 人のため親身になって働いてきたように思います。 でも、人に教えるという機会は一度もありませんでした。
そんなある日、星が西の空に落ちて、おばあさんはこの世を去りました。
ところは変わり、山々の麓から曲がりくねりながら、緩やかに流れる 大きな川がありました。 その中ほどの岸辺に、舟付き場と小さな舟屋がぽつんとあり、 ただそれだけのものでしたが、 そこを三途(さんず)の渡瀬(わたせ)といいました。
舟付き場に、一日一回日暮れ前に着く定期船と船頭さんの姿がありました。 今しがた子舟に満載した人々がぞろぞろ下りて去っていき、 船を桟橋(さんばし)に結わえつけると船頭さんの仕事は一段落です。
船頭さんは舟屋の軒下で、アジサイ色の空に遠くの山々がぼんやり かすんでいるのを眺めながら、たばこで一服するのがいつもでした。 ところが、その日の舟屋のそばには、もうひとり別の人の姿がありました。
それに気がついた船頭さんはたばこをひといき大きく吸い、はき出すと、 その人に話しかけました。
「今の舟でこられた方かな」
「そうです」
それは、おばあさんでした。 年まわりは、ちょうど船頭さんほど、それでも丁寧なあいさつと 穏やかなしぐさに、船頭さんは心ひかれました。
「どうしたんじゃ。今の一行は急いでいってしまわれたというのに」
「さっきの舟の中でいろんな人とたくさんの話をしたのでのどがかわき、 川辺でお水をいただいておりました。 私は元来のろまなので、皆さんにはなかなかついていけなくて。 先の宿場には、明日の朝にでも着けばと思っております」
あたりはあかね色に変わってきていましたし、 向こうのほうには野良仕事を終えて帰る里人の姿がありました。 船頭さんは空を見上げて言いました。
「夜暗くなってから行かれるのはたいへんじゃ。 山を一つ越えねばならんから、道に迷うかも知れんし、 追いはぎにあうかも知れん。 そんな荷遠くないので、今すぐ行かれたら暗くなるまでには着くがなあ」
「いえいえ、先はすぐのことですし、追いはぎが出ても、 この気候なら寒くはないでしょう。 急いで行っても、ゆっくり行っても同じこと。 船頭さんのように、いつまでに人を届けねばならないと決まっているなら 急ぎもしましょうが、私はこのように旅をしているだけですので」
「そう言われりゃあ、そうですなあ。あなたは欲のない人とお見受けする。 そのような人に会うのは何か月ぶりかのう」
「ここは初めてですが、こんな景色のよいところは、 遠い昔に忘れてしまった故郷のような気がします」
船頭さんもたばこを口にしながらうなずきます。
「わしもここで長いことこの景色を見ておるが、見あきたことはない。 いつも心が和むんじゃ」
二羽の鳶が、「ひゅるるー」と奏でながら、かすんだ山を目指して 飛んでいきました。
「どうじゃ。今日はここにとまって、翌朝たたれては。 何にもないが、今晩はよい月が出るはずじゃ」
「ご親切に」
おばあさんはとめてもらうことにしました。 船頭さんは、舟屋の前で焚き火をたいて、今しがた捕ってきた
鯉のなべものを作ってくれました。
それをいただく頃、あたりはもうすっかり暗くなって、 月が川向の空にかかり、里を穏やかに照らしていました。
「お名前は、何といわれるな。わしは渡瀬の爺蔵(じいぞう)という。 いつも里のものから、じいさんと呼ばれておる」
「私は、たつえと申します」
「だれでも一度はここを通るんじゃが、 みな先々で追いはぎが出ると聞かされておるもんで、 早よ着こうと、われ先なんじゃ」
「だれでも持ち物を盗られるのはいやですからね。 その追いはぎは、何人いるんですか」
「五人じゃ」
「その人たちは、どうしてまじめに働かないのですか。 里の人たちのように」
「そのとおりじゃ。奴等ももとは、みなといっしょにまじめに働いておったが、 土から汗して得られるものでは飽きたりず、よくもうかる里あらしや 追いはぎをはじめたというわけじゃ」
「それは困ったことですね。里人も、さぞ苦労されたでしょう」
「そう。がんばっておる里人たちは立派なもんじゃ。 あの五人にも、誰かがその貴さを教えてやらねばならんのだが」
それを聞いて、おばあさんは、自分が今まで何をしてきたか、 妙に気になりました。何もかも、よく覚えていなかったのです。
「それはそうと、私は以前に何をしていたんでしょうねえ。 ちっとも思い出せなくて。ただ、行かねばならないところがあるから、 こうして旅をしているようなんですが」
「ふむふむ、そうじゃなあ。まあ、昔のことは昔のこと。 これからのことも、行ってみてのお楽しみというもんじゃろ。 今知ろうとしなくてもよいのではないかな。ははは。 今日はもうおやすみなさい。明日は旅を続けねばなりませんからな」
たつえおばあさんは、舟旅の疲れのせいか、爺蔵さんにすすめられるままに 舟屋に入ると、ぐっすりと眠ってしまいました。
翌朝、おばあさんが発とうとするとき、船頭さんは言いました。
「もし追いはぎにあうようなことがあったら、 『わたせ、わたせ』と唱えなさい。 道に迷ってどうしようもなくなったときにも、 『わたせ、わたせ』と言いなさい。 きっと道祖神様が道行きの安全をはかってくれるじゃろう」
船頭さんは、朝もやの少しかかった中を去っていくおばあさんを、 いつまでも見送っていました。 おばあさんは、朝早くから働く里人とあいさつをかわしながら歩き、 やがて山道となりました。
道ははじめなだらかでしたが、先に行くほど険しく、 また昼中でもうっそうとした木々で暗くなってきて、 つい足をくじいてしまい、よけいに歩みがのろくなってしまいました。
峠に着いた頃はもう日暮れで、さしものたつえおばあさんも、 心細くなってきました。 峠の傍らにあった石に腰かけて、あたりを見ていますと、 木立の暗がりを動くものがあります。
やがてそれが人影であることがわかり、道にぞろぞろと五つばかり 出てきますと、おばあさんはしばらくぶりに人気にふれた思いで、 むしろ安心しました。
五人は、おばあさんをとりまくように立ちはだかると、 その中のひとりが言いました。
「おい、ばあさん。着物を置いていけ」
そのひとりが、座っているおばあさんの肩に手をかけました。
「ぜーんぶ、置いていくんだぞ」
よく見ると、みんなおばあさんの孫ぐらいの年格好の若者でした。 これが例の追いはぎに違いないと思いました。
「私の着ているものは、みなあげましょう。 だけど、ふもとの人たちのように、まじめに努力するのが 人の道というものですよ」
そう言うと、小さくうなずいて、一番上に着ていた青色の着物を取りました。 すると、着物の裏にきれいな絵もようが描かれていたのです。
おばあさんはそれを見て、はっと驚きました。 それは、おばあさんが忘れていた、「思い出の縫い込み」だったのです。 おばあさんの心の中に、まわり灯篭の絵のように、 生前の在りし日々がよぎりました。
働いて、働いて、よく働きました。 ほとんどが人のためになったことでした。 小さい頃は、弟や妹の面倒を見ながら野良仕事。 大きくなると、家族の家計を支えるために働きに出ました。 そして嫁に行き、たくさんの子を設け、家族を養うために夫を助けて働きました。
子供が大きくなり、独立して孫ができる頃、信仰の道に入りました。 それからは、人の窮状を見ては、親戚であろうが、他人であろうが、 手の施せる限りのことをしてきました。 おばあさんは、懐かしさのあまり、大きなため息をつきました。
「ああー。これこれ、こうだったんですよ」
ただ、思うようにならない状況に、よく愚痴をこぼしたことがありました。 年をとっていくに従い、そうでした。 思うにならないのが人の常で、しかたのないことでしたが、 二枚目に着ていた赤い着物にそれは縫い込んでありました。 おばあさんは、恥ずかしそうにそれを若者のひとりに渡しました。
三枚目は黄色の着物でした。 そこには、一番心残りだったことが縫い込んでありました。 自分の初孫の姿と、仏様のありがたい教えの説法道場が、そこにありました。
ほかの孫たちはみな達者で、うまく世渡りをしているのに、 初孫ときたら居所は定まらず、ちょうど目の前にいる5人のように、 やりきれない暮らしをしていることに、おばあさんは心をいためておりました。
説法道場のほうは、おばあさんの最後の夢でしたが、お金がなく、 本部というところからついに許可が出ずじまいでした。
最後に着ていたのは、なんの縫い込みもない、白のじゅばんでした。
「そのじゅばんは、いらん。裸にしてしまうと、風邪を引くからな。 せめてもの情けだ。しかし、青いの、赤いの、黄色いのはもらうでな」
別のひとりが、あわてて言いました。
「いや待て。この青いのももらうわけにはいかん。 こんなもの盗ると、ばちが当たる。黄色いのと赤いのだけでよい」
ところが、おばあさんは涙しながら言いました。
「どうかお願いです。 青いのと、赤いのと、白のじゅばんはさし上げますから、 黄色いのだけ返してください。 ここには、あなたがたと同い年くらいの孫がおります。 何とかお願いします」
五人は顔を見合わせて、しばらく協議していました。 やがてひとりが寄ってきて言いました。
「ばあさん。白いじゅばんは、売り物にならん。 青いのも、簡単に足がつく。 そこで黄色いのを返すと、ほとんど何も盗らなかったのと同じになる。 たった一枚のために、はるばる隣の山から出てきたのではないんだからな」
少しもんちゃくが続いていたとき、おばあさんは爺蔵さんに教えられた、 「わたせ、わたせ」の呪文を思い出して、唱えました。 すると道の真ん中が光りはじめ、見る見る人の姿になりました。
「うわっ。地蔵が出てきた」 「またどうして」
五人とおばあさんは、その場に立ち尽くしていました。 見ると、地蔵さんは、爺蔵さんの顔にそっくりでした。 はちまきと、あごの不精(ぶしょう)ひげを取れば、うり二つでした。 地蔵さんは、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)といって、この世界では偉いお方です。
「これこれお前たち。おばあさんがこれほどまでに欲しがっているものを、 むりやり盗ってはならん。赤い着物だけにしなさい」
そう言うと、おばあさんのほうを向いて微笑んで、消えていかれました。 五人は、しぶしぶ赤い着物だけとって、一目散に逃げ去りました。
おばあさんは、残された着物を着て、また歩いていきました。 爺蔵さんは地蔵さんではなかろうかと思ったりしながら。
月明かりだけでしたが、道ははっきりと照らされていました。 やがて空があかくなろうとする頃、道中に深緑色の光沢のある、 つりがね状の岩が三つ並んで現れました。 そこから先は、きれいな光沢のある石畳で、緩やかな下り坂になっていました。
道の続く向こうが明るくなり、すがすがしい朝を迎えるもののようでした。 やがて、向こうのほうの二つの山の間から、 金色の陽の光が、さっとおばあさんの顔にさしました。
ご来光を拝もうと、お陽さんに目をやると、驚いたことにそれは仏様でした。 青空を背にして、昇る朝日のように輝いておられ、 周囲の山々よりも大きくていらっしゃいました。
あまりの光景に、おばあさんは口をぽかんと開けたまま、つっ立っておりました。 仏様は微笑まれて、手招きされました。そこでおばあさんは、 はっと我にかえり、両手を合わせて礼拝して歩き出しました。 すると、足があるかないかわからないほどに軽く感じられました。
ところが、目の前には、通れる道巾が肩幅くらいしかなく、その両側が真暗な谷底のようになっている道が長々と、仏様の光に照らし出されていました。 おまけに、おばあさんは高いところが大の苦手でした。
「仏様。いくら足が軽くても、これではとても行けません」
そう言っても、仏様はなおも手招きされていますし、仏様のもとに行くには、そこを歩いていくしかありません。 心を決めて踏み出しましたが、数歩行ったところでよろめいて、 とうとう右足を踏みはずしてしまいました。
ああ、もうだめかと思った瞬間、誰かが右の谷から出てきて、体を支えて助け上げてくれたのです。 見ると、その人はすぐ下の弟でした。
「おお、おまえは△△。どうしてここに」
弟は、ほほえみながら、無言のまま手を振って闇に消えていきました。
おばあさんは、また数歩行くと、今度は左側に落ちそうになりました。 でも、この時には姑さんが支えてくれました。
それから何度も何度も踏みはずしては、そのつど、生前に尽くしてあげた人たちがかわるがわる助け上げてくれ、懐かしさとありがたさで、いつしかおばあさんの顔はくしゃくしゃになっていました。 そして、道の上にしゃがみ込んで、仏様に向かってこう言いました。
「仏様。みなにこんなに良くしてもらって、私はもう本望です。 このまま地獄でも、どこにでも参ります」 と、立ち上がるや、 暗い谷底に自ら飛び込もうとしました。
そのとき、仏様の眉間から、金色の光の棒が伸びてきて、 おばあさんをしっかりと受けとめました。 そしてふたたび道の上に置かれたのです。
そのとき、いつのまにか傍らに浮かぶようにして、 地蔵さんが立っておられ、こう言いました。
「あなたは、多くの人を助けたその功徳によって、 十分に仏様のもとに行くことができます。 しかし、あなたの着ているこだわりの黄色い着物が、 足を絡ませてしまうのです。 これがなくならない限り、彼岸は難しい」
そう言って、黄色の着物を捨てることを勧めました。
そのとき、仏様がはじめて口を開かれました。 世界にこだますようなお声です。
「たつえおばあさん。 あなたの着物が自然になくなったときに、また来られたらよい。 それまで、川と山に挟まれたふもとの里でお暮らしなさい。 そこに、あなたにふさわしい仕事があります」
こうして、今しがた来た道を、今度は地蔵さんに手を引かれて、 引き返していきました。
地蔵さんは、おばあさんの仕事についてどうしようかと 思案されていましたが、あの五人の追いはぎ騒ぎのあった峠に さしかかったとき、ふと思いつかれました。
「おお、そうだ。 もしよければ、手はじめにあの五人組を、教育してもらえませんか。 いや、実はふもとで暮らす人たちは、みなよい人ばかりですが、 あなたのように黄色の着物をやはりだいじにしておられる。 それが必要でなくなるときまで、お百姓などをして暮らしておられる わけですが、あなたの場合は少し高尚でしてな。 それを適えるには、こうすることが一番よいでしょう」
地蔵さんは峠のあたりの地形をしばらく見回しておられましたが、 ひとつ大きく輝かれますと、狭かった道が切り開かれ、広い土地が現れました。 すると間もなしに、ふもとから上ってくる人たちの歓声が聞こえてきました。
見ると、里人たちが、手に手にかんなやのこぎり、ざいもくなどを持って、何十、何百人とやってくるではありませんか。 そして、地蔵さんとおばあさんにあいさつすると、 事情を何もかも知っているらしく、楽しそうに何かを作りはじめました。
見る見るうちに、そこにはおばあさんが夢見た説法道場が建ちあがりました。 おまけに大きな山門が、道をまたぐように作られました。 何事が起きたかと、隣の山から出てきた五人組も、 いつしか建築を手伝っていました。
地蔵さんは言いました。
「もうご存じかと思いますが、着物を奪い盗ることは必要なことなのです。 奪われまいとして、逃げおおせたものや、 幸いにも五人組にあわずに行ったものは、おおかた地獄に落ちております。 あなたはここで五人組といっしょに、通る人の着物を腕力で奪うのでなく、 仏様の教えを説いて奪ってください」
道場の落成式では、おばあさんは地蔵さんといっしょに、 第一回目の講話をおこなったのでした。 それが、聞いていた五人組にも感動できる良いものだったらしく、 ちょうど仕事もしづらくなったことでもあり、 この道場で下働きすることになりました。 おばあさんは、一度に五人の新しい孫ができた思いで、大喜びでした。
それからというもの、いろんな菩薩様が説法しにここに立ち寄られましたし、 おばあさんも黄色の着物を金色に輝かせていろんな話をしました。 むろん、爺蔵さんの送り届けた人たちや、 里の人たちが毎日やってきて講話を聞き、 その後で、色とりどりの着物をお布施として差し出していきました。
おばあさんはそれから、あの着物に縫い込んであった初孫が ここを通るまで講話を続け、そして盛大な見送りの中、 二人して白いじゅばんだけの着のみ着のままで去っていったそうです。
その後、五人組はお坊さんになり、おばあさんの後を継ぎました。
たつえおばあさんの話は、天界にも、そして下界にも知れわたり、 殊に下界ではおばあさんのことをどうとり違えたものか、 鬼のように恐い、「奪衣婆(だつえば)」と呼んだということです。
奪衣婆・・あの世の入り口で、死者の着物を強奪するという伝説上の鬼婆のこと
ヒンヅー教の教えによれば、神はこの世にある被造物の
そんなとき、人として生まれ落ちたものが、 彼はその一生を通じて、全宇宙にとって必要な位置を占め、
よって、彼がどのような一生を送ったにせよ、 胸を張ることができる。にもかかわらず、 づけてきた心の性向というもののようです。
だから、向こうの世界にあっても、教え導く導師が 死者の衣を残酷にも奪っていくという鬼婆、 遭遇する、そうした導師の一人に位置づけられます。
この童話は、信仰篤かった祖母の話を元にしており、 アレンジの過程で奪衣婆伝説とドッキングさせました。 祖母の話 ⇒ はつの祖母の思い出(祖母の自伝)もどうぞ もっと不思議な話も ⇒ なき祖母が、なき母とともに夢に出てきたときの姿(驚いたのは私ばかりか)
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